風光明媚なカタルーニャの芸術都市

バルセロナ

神は細部に宿る

「Der liebe Gott steckt in Detail(神は細部に宿り給う)」とは、20世紀建築の巨匠、ミース・ファン・デル・ローエがよく引用した言葉。1929年のバルセロナ万国博覧会で、スペイン国王夫妻のためにデザインされた「バルセロナチェア」は彼の代表的作品の一つだ。
 このバルセロナは、マドリードに次ぐスペイン第2の都市で、地中海に面してイベリア半島の北東に位置し、人口約160万人、面積100.4㎢。一方札幌市の場合、人口約190万人、面積1121㎢で、比較すると人口密度が高い都市といえる。

カタルーニャの伝統

 サッカーの名門、FCバルセロナの本拠地でもあるこの地は、「スペイン」という言葉から連想される、闘牛やフラメンコとは縁遠い。また、スペインの17ある自治州の一つ、カタルーニャの州都でもある。カタルーニャは、公用語がカタルーニャ語であるなど、スペインでも特に独自性が強い地方であり、古くから芸術活動が盛んで、ダリ、ピカソ、ミロ、ゴヤ、ベラスケスらのすぐれた才能をはぐくんできたのだ。
 このような、バルセロナの文化・芸術都市という面は1992年開催された、バルセロナオリンピック以降急速に、世界に再認識された。今やバルセロナは、国内外から多くの人が集まり、質の高い世界の観光都市となっているのだ。その背景には、80年代にスタートした、部分から全体へと市民を巻き込むアプローチ、後に「バルセロナモデル」といわれる都市再生により、空間自体の価値を高めていった経緯がある。

街にかける誇り

 バルセロナモデルとは、例えば、老朽化した建物を壊して広場をつくり、その開けた場所にはオープンなカフェを開く。公共の空間ができることで、人通りが増え治安や生活が向上する…といった小さな実践を積み重ねて都市全体に波及させるという戦略だ。それを支えたのはバルセロナ市民の、自分たちの住む都市への誇りや関心の高さだった。「まちづくり」の神は市民ひとりひとりの意識に宿っていたのだ。

バルセロナのバイシング

 都市という空間が抱える、ガソリンの高騰に象徴されるエネルギー問題に対し、自転車の活用が注目されるヨーロッパ。各都市にみられる大規模な貸し自転車のシステムは1998年頃から始まり、現在国にかかわらず3つのタイプに大別できる。これらは観光者用ではなく、あくまで温暖化対策と渋滞緩和を目的とした市民の移動手段であり、ヨーロッパでは、パリ、ベルリン、ストックホルムなどでも定着している。
 ここバルセロナでは「バイシング」という名前で、2007年3月に開始された大規模貸し自転車。利用者は、あらかじめ必要な情報を登録して発行されるカードを使い、200箇所のステーションに設置された3000台以上の自転車を利用できる。もちろん返却はどこのステーションでもOKで、料金は年間4000円程度。赤と白の鮮やかなカラーリングは盗難防止の意味もあるという。
 98年以前の共有自転車のシステムは、特に盗難という問題が大きかったが、現在は利用者が特定されることもあり、その可能性は大きく減った。自転車の数がステーションによって偏ってしまうなどの解決すべき問題はあるが、各都市のシステムの統一や改良など、貸し自転車発展の余地は大きい。

 このような、低炭素社会を目指す取り組みの根底には、自然と向き合い、自然に学ぶという姿勢がみられる。「あなたの先生は誰か」と問われ、外の枯れかけたような一本の木を指差した、というのはガウディの逸話だ。カタルーニャが生んだ巨匠のなかでもアントニ・ガウディは、「モデルニスモ」の建築作品を多く残している。モデルニスモとは、1900年前後にカタルーニャ地方で発展した芸術運動だ。フランス語で言うアール・ヌーボーと同じく、動植物などをモチーフとした曲線を多用するなどの特徴を持つが、世紀末の廃頽さが見られない。カタルーニャ人のアイデンティティーを求める運動でもあり、特に建築の分野で最大の成果を収めた。

バルセロナと博多人気質

 バルセロナには、海もあれば山もある。日本では福岡市とバルセロナとの類似性が指摘される。中心街から西北へ、カタルーニャ鉄道で1時間。聖地モンセラートは、「のこぎり山」という意味の通り、独特な形の岩が林立し、サグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)のモデルになった。その主任彫刻家として活躍されている、福岡出身の彫刻家、外尾悦郎氏はバルセロナ在住28年。外尾氏の作品を含む「生誕のファサード(門)」は、2005年に世界遺産に登録された。時代を超えて感動と驚嘆を与え続け、バルセロナの象徴ともいえるサグラダ・ファミリアは、ガウディの言葉、「神は急いではいない」の通り、1882年に着工し、完成まで150年とも200年とも言われてきたが、観光客が増えるなど資金が増えたこともあり、建設委員会は2020年代の完成を考えているようだ。

黄昏は矢のように

 中心街から北北西へ向かう高台に、ガウディの代表作のひとつとして親しまれているグエル公園がある。鮮やかな色の破砕タイルの装飾が目をひく、柔らかな曲面のベンチは、86本の円柱に支えられている広場を取り囲む。ベンチの曲面は、座る人の腰をサポートし、長く座っても疲れない。これは、公園全体が細やかな配慮により設計されている事実のほんの一端であり、この空間では人と自然双方の調和が実感できるのだ。
 1900年前後、大富豪グエル氏がガウディに依頼したのは、イギリス式ガーデンシティを手本にした、ブルジョワ向けの近未来住宅地の設計だった。しかし、当初60戸の住宅が建設予定だったにもかかわらず、実際に分譲されたのは3軒のみで、うち2件はグエル氏本人とガウディ自身の邸宅であった。社会的な争乱と周辺の状況の中、資金難におちいった計画は1914年に中止、その後市に寄贈され公園となったのだ。計画中止の4年後、ガウディの理解者であり生涯のパトロンであったグエル氏が亡くなる。その後のさまざまな試練と出会いの中で、熱心なカトリック教徒となったガウディは、晩年の40年間サグラダ・ファミリア建設のみに没頭していく。

ヒトを幸せにするモノ

 1926年6月7日、ミサに足を運ぶ途中の汚い身なりの老人が路面電車に跳ねられ、6時間後にようやくそれがガウディだと分かった。3日後の10日午後5時、73才11ヶ月で亡くなったその生涯は非業と言うべきか、天職を全うしたというべきなのか。誰のために、何のために、時を超えサグラダ・ファミリアはつくられるのか。その目標のひとつは、大聖堂を大きな楽器にみたて、街全体で音楽を奏でるというものだ。何という壮大さ。ガウディが職人に残した、「明日はもっと良いものをつくろう」という最後の言葉は、人を本当に幸せにするものをつくりたいという精神の現れではなかったのか。人はものをつくらずにはいられない。